【弓道】弓道をしていると左の腸腰筋が発達するのか?跪坐で膝を生かす意味を考える。

自分の腸腰筋をみて思ったこと

先日腰椎横突起を骨折したので(【弓道】久しぶりの的前練習)、自分のCTを見る機会がありました。
その際、腸腰筋に左右差があることに気付きました。
私は、左の腸腰筋と腰方形筋が発達していて太いのです。

赤と青が腸腰筋(大腰筋)オレンジと水色が腰方形筋です。数字は腰椎の番号です。
CTは下方から見ている像なので、画面の右側が、被写体の左側になります。
赤とオレンジの左の方が太いのが分かるかと思います。

左の腸腰筋と腰方形筋が太い、の意味することころは?

腸腰筋は股関節を屈曲する筋で、ふとももを持ち上げる筋です。
腰方形筋は骨盤を持ち上げる筋肉です。

自分は左右のバランス悪く弓を引いているのかな、と反省していたのですが、ある方から、
「膝を生かすから、左の方が太くなるのでは?」
という指摘を頂きました。
なるほど、確かに膝を生かす動作は、腸腰筋を使う動作です。

30年も弓を引いて入れば、かなり長期に坐射で膝を生かす機会があります。
射のバランスが悪いのか、跪坐で膝を生かしていたため左の腸腰筋が太いのか、答えはいかに…。

先日、先生も別の理由でCTを撮られて、そのデータがあるとのことで見せて頂きました。
年齢が30歳近く違うので、腸腰筋の筋量が全然違うため、左右差がわかりにくかったですが、やはり左の腸腰筋が太い印象でした。
先生の現役時代のCTがあれば、もっと左右差が比較できたかと思いますが、2人だけの検討では、有意かは分かりませんね。

跪坐の膝を生かすコツは、単に膝を浮かすのではなく、太もも全体を体に引きつける感じで、骨盤を引き上げる感じにすると姿勢が崩れずに生かせると習いました。
教本1巻の70ページには、「(二)膝を生かす場合、膝頭をあげるのではなく、腰の線をつりあげるようにする」とあります。

腰方形筋は太ももを持ち上げる筋ではなく、骨盤を持ち上げる筋肉です。腰方形筋も発達しているのが、それを意識しての結果のような気がして面白いです。

実は、良くみると脊柱起立筋にはほとんど左右差がありません。
となると、やはり、跪坐の姿勢が、これらの筋肉の左右差の原因になっている気がします。

跪坐は大変…

跪坐は、なかなか大変ですが、昇段していくと、出来ていないといけない所作になってきます。
五段や錬士のころに、審査のための持的射礼をするので、その時が一番鍛えられる時期かなと思います。5人立の持的射礼の落ほど跪坐がつらいことはありません(笑)。
それ以上になると、中央審査の二次審査はほぼ一つ的射礼なので、そこまで大変ではなくなりますね。
むしろ、通常の一次審査や全日本選手権方式の試合の方が大変に感じます。
先生が全日本に出ていたころは、朝ドラの15分間、ずっと跪坐をしながら見て訓練していた、というのを聞いたことがあります。
そのころの先生のCTがあればもっと左の腸腰筋が発達していたのではないかと想像します。

跪坐で膝を生かす意味について考えてみた

さて、この機会になぜ膝を生かすのか、改めて考えました。
元々は、武士の時代の名残で、敵に襲われても、すぐに動けるように生かしている、ものと理解していました。
私は、昔読んだ、歴史漫画の「花の慶次ー雲のかなたにー」という漫画で、主人公の傾奇者の慶次が、秀吉に聚楽第で謁見するシーンが印象に残っています。
この時、謁見し秀吉の前で舞を舞っている慶次は、実は秀吉に襲い掛かるチャンスをうかがっています。


花の慶次ー雲のかなたにー  第四十五話はにかみの微笑の巻より

このシーンで、秀吉の姿勢はまさに跪坐で、「秀吉の腰がわずかに浮いている。素早く後方に跳ぶための構えである。」となっています。慶次の殺気に気づき、身構えているシーンです。このように、わずかに腰を浮かす、ということが膝を生かす事と同じ意味合いを持ち、すぐに動ける隙のない姿勢という事なのだと思いました。高校時代、このシーンを読んで、子供心に武道を習うものとして、これが膝を生かす心だ、と勝手に納得したのを覚えています(懐かしくて今回本を買いました)。

教本や書物ではどうか

さて、実のところどうなのか、と思って調べてみたのですが、教本1巻には以下の記載があります。

教本1巻69ページ
(イ)跪坐(きざ)
坐っての爪立った姿勢を跪坐といい、いつでも次の動作に移ることにできる構えである。
物を持った時は、物を持った方の膝を生かす。両手に物を持ったときは主たるもの(弓矢の場合は弓)を持った方の膝を生かす。膝を立てるのではない。膝を生かした場合の大腿部の角度は約45度、膝頭と床との間隔は掌がはいる程度である。これは持った用具を体の一部と心得、生命が通っていなければならないために「生かす」という言葉を使っている。足は双方そろい、踵が開かないようにつけ、爪先はなるべく体の内側に入れること。

現代弓道講座とか、弓道教本4巻とか、弓道読本とか、いろいろ探してみましたが、あまり他に明確に膝を生かす意味を書いているものはありませんでした(やや検索不足かもしれませんが)。射術に関する記載は多いですが、跪坐の姿勢に関する記載は少ないです。もし、文献に詳しい方がおられれば教えて頂ければ幸いです。

そんな中、師範から頂いた昭和53年発行の小笠原流の小笠原清信先生の「立居振舞」という本の中に以下の記載がありました(本について検索してもヒットしませんでした)。
跪坐や正坐の詳しい解説ののちに、「物を持つ作法」という章があります。
その章がある60ページに、
「また茶器をのせた盆を跪坐の姿勢で持った場合、重味のかかる方の膝は必ず生かすことで、腰眼にかまえます。これも物を身体の一部とするための心がけです。」

68ページからの「機能に応じた動作と作法」という章には
「しかし、何といっても大事なのは稽古なのです。物を持つにしても、物に命を与えるということは稽古の集積です。物を生かすためには、自分は生気体でなくてはなりません。そして物自体が自分の一部となることがたいせつです。弓のような長い物を持つ場合にも、立って弓を構えているとき、この姿勢から次第に座を低くしてくとき、物に対する心の入れどころは、物を生かす場合に、「微妙な握り」、「体の角度」これらの変化を微細に感得して、常に物を生かす持ち方がたいせつです。そして体の在り方によって、物の位置、わざの在り方が一点にしぼられてきます。このように、物を生命を与えてこそ、生きてくるのです。」

これを読むと、教本1巻に書いてあることは、あっさりと書いてあるようで、まさに核心となる事が書いてあって、道具と一体になるために生かす、漢字も「活かす」ではなく「生かす」という心の様です。礼法の中で、道具を持ったときの、所作、心構え、という精神から来ているもののようです。跪坐の解説の第一行に、「いつでも次の動作に移ることにできる構えである。」とあるので、すぐに動ける隙の無い姿勢というのはもちろんあって、さらに、道具と一体になるという意識が膝を生かす心なのだと思いました。生気体である、ということにつながる所作なのかなと思います。

2020年7月8月合併号の弓道誌に、小笠原清信先生の昭和46年・47年月刊弓道より再掲載の「教本改定について」「教本解説㊤㊦」という記事が載っていますね。教本をまとめあげ、改定していった当時の先生方はすごいですね。なかなか読み応えのある記事でした。

昔から師範に、「弓が体の一部と思えるまで練習しなさい」とよく言われました。
また師範は「動作の一つ一つに意味がある」とよくおっしゃっていました。
個人的には道具に思入れが強いので、道具と一体になるために膝を生かす、はとてもしっくりきました。
左の腸腰筋が発達する是非はわかりませんが、脊柱起立筋には左右差がないので、逆に稽古の証?かもしれないと思って、今後も精進していこうと思いました。
さすがに3か月経って、骨折の痛みは癒えました。

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